教員を辞める時期はいつがいい?|年度末退職にした私の理由

教師を辞めた話

結論から書きます。教員を辞める時期は、体と心に余力があるなら年度末が現実的で、余力がないなら年度途中でもかまいません。そして、どちらか決められないくらい消耗しているなら、辞める前にまず「休む」という選択肢があります。

私は元公立教員です。高校から小学校に異動した年に体調を崩し、心療内科で適応障害と診断されて9ヶ月休職し、29歳の年度末に退職しました。年度末を選んだ理由は、新年度から個人事業主として塾を開業する予定があり、そこまで休職中の給付で生活をつなぐことができたからです。

この記事では、私が年度末退職を選んだ実際の経緯とお金の話、年度末と年度途中それぞれの現実、そして「もっと病む前に辞めるべきだった」という後悔まで、隠さず書きます。いま辞めたい、休みたいと思っている先生の、時期を決める材料になればうれしいです。

結論:教員を辞める時期は「体が先、カレンダーは後」

最初に、この記事全体の結論を書きます。年度末まで働ける体力と気力が残っているなら年度末退職、残っていないなら、時期にこだわらず今すぐ休むか、辞める準備を始めてください。順番はいつも「体が先、時期は後」です。

なぜここまで言い切るかというと、私自身が時期や周りの目にこだわって決断を遅らせ、その間に心を壊したからです。高校教員だった頃、残業は月200時間、毎日12時間働き、部活動で土日はほぼつぶれていました。初任の年は、1年間で休みが10日ほどしかありませんでした。40度の熱が1週間続いても休めませんでした。朝、通勤の運転中に涙が出てきたこともあります。今思えば、あれは体からの警告だったのに、私は立ち止まれないまま走り続けました。

その後、小学校に異動してからは、朝起きられなくなり、子どもを感情で怒鳴ってしまうようになりました。それでも自分から休むとは言い出せず、結局3ヶ月ほどで勤務できなくなり、9ヶ月休職して年度末に退職しました。振り返っていちばんの後悔は、辞めた時期そのものではなく「もっと病む前に動くべきだった」ということです。時期は後からいくらでも選び直せますが、壊れた体と心はすぐには戻りません。

教員は、年度の区切りを重く考えすぎる職業だと思います。担任している子どもたち、行事、受験。責任感が強い人ほど「せめて3月までは」と自分に言い聞かせます。その気持ちは痛いほどわかります。ただ、無理を重ねた先にあなたが倒れれば、結局は年度の途中で現場に穴があきます。私がまさにそうでした。無理を重ねた結果、年度が始まって3ヶ月ほどで働けなくなったのです。

そして「辞める」の前に「休む」という選択肢があることも、最初に伝えておきます。私は休職で現場を離れ、体を休めながら退職日を考えました。休んでいる間も教員としての身分は続きますし、後で書くように、収入も段階的に守られる仕組みがあります。「辞めるか、続けるか」の二択で追い詰められているなら、その間に「休みながら考える」という三つ目の道があります。時期に迷っているなら、まず休んで考える時間を確保するのは、十分に現実的な手です。

もしいま、朝起き上がれない、涙が止まらないなど、自分ではどうにもならないほどつらい状態なら、時期の検討より先に、誰かに話してください。厚生労働省の「まもろうよ こころ」(https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/)には、電話やSNSで相談できる窓口がまとまっています。時期の話は、そのあとで大丈夫です。

私が年度末退職を選んだ理由

結論を先に書くと、私が退職日を年度末にした理由は、新年度から個人事業主として塾を開業する予定があり、年度末までは休職中の給付を受けながら生活と準備ができたからです。区切りの良さや円満さより、お金と次の仕事の都合が大きかったというのが正直なところです。

経緯を順に書きます。私は高校教員でしたが、部活動が嫌で、そこから逃げるように小学校へ異動しました。ところが異動先で学級崩壊した教室を引き継ぎ、保護者の目も冷たく、3ヶ月ほどで勤務できない状態になりました。病院に行ったきっかけは、職場の校長のすすめです。心療内科を受診し、私の場合は適応障害と診断されました。診断書を校長に提出して休職に入り、期間は3ヶ月ずつ延びていって、合計9ヶ月になりました。

辞める気持ち自体は、夏休みに入る前には校長に伝えていました。そのうえで、最終的な退職日は年度末にしました。休職の期間は一度に決まったわけではなく、3ヶ月ずつ延びていく形だったので、「次の3ヶ月でどうするか」を区切りごとに考えられたのも、結果的にはよかったと思います。休職の期限と新年度の始まりがちょうど重なる形になり、「休職で体を立て直す期間」と「開業までの準備期間」を同じ時間でまかなえたのです。休職中の給付が年度末まで続いたことは、無収入への恐怖をやわらげてくれました。もし退職を数ヶ月早めていたら、収入の切れ目と開業準備が重なって、もっと追い詰められていたはずです。

ここで正直に書いておきたいのは、休職中の私は、計画的に開業準備を進められたわけではないということです。最初の頃は、転職を考えて公務員試験を受けようとしたり、自営業を見据えて簿記などの資格を取ろうとしたりしましたが、しんどくて何もできませんでした。子どもたちや保護者に会わないように昼間に散歩をして、家でゴロゴロして過ごす。そんな日々が続きました。それでも、復職への圧は全くなく、休ませてもらえたことで、少しずつ「次」を考える力が戻ってきました。

つまり私の年度末退職は、「3月まで働き切って円満に去った」という美しい話ではありません。年度の早い時期に働けなくなり、休職で年度末まで在籍し、その間に次の道を決めて、区切りの日に辞めた。それが実態です。ただ、結果としてこの形は、体を守ることと生活を守ることを両立できる現実的な道でした。いま限界が近い先生にこそ、「働き続けて年度末を待つ」以外にこういう形があると知ってほしいと思います。

休職中のお金はどうなるか。一般的な制度と私の記憶

結論から書くと、公立学校の教員は、病気で働けなくなってもすぐに無収入にはなりません。一般に、病気休暇の間は給与が全額支給され、休職に入っても当初はおおむね8割が支給され、無給になったあとは共済組合の傷病手当金に切り替わる、という段階的な仕組みがあります(自治体・共済組合により異なります)。

もう少しだけ一般的な制度を説明します。多くの自治体では、診断書をもとに取得する病気休暇は90日程度まで認められ、その間の給与は全額支給とされています。それでも回復しない場合は病気休職に移り、休職1年目はおおむね給与の8割が支給される例が多いようです。その期間も過ぎて無給になると、今度は共済組合から傷病手当金として、直近の給与水準のおよそ3分の2にあたる額が、通算1年6ヶ月を上限に支給される仕組みが一般的です。なお、給与が全額支給されている間は傷病手当金の対象にならず、給与が減った分を補う形で支給される点も特徴です。ただし、これらの日数や割合は自治体や共済組合、休み始めた時期によって変わります。正確な条件は、必ず勤務先の共済組合や事務担当に確認してください。

私自身の場合はどうだったか。記憶では、6ヶ月までは全額、それ以降は8割が支給されていました。ただ、当時の私はそれが給与として出ていたのか、共済の手当金だったのか、細かく確認する気力がありませんでした。一般的な制度の区切りとは少し違う記憶なので、自治体によって違いがあったのか、私の記憶が丸まっているのか、正直はっきりしません。それでも覚えているのは、「年度末までは生活できるお金が入ってくる」という事実が、どれほど心の支えになったかということです。無収入の恐怖があったら、休むという決断すらできなかったと思います。

退職金も受け取りました。一般に、公務員は自己都合退職でも勤続年数に応じた退職手当が支給されます(金額や条件は自治体により異なります)。私の場合も受け取ることができ、辞めたあとの生活を考えるうえで、安心材料のひとつになりました。

この章で伝えたいことはひとつです。「辞める時期」を考えるとき、休職中の給付という仕組みを知っているかどうかで、選べる道の数が変わります。私のように、働けなくなってから年度末までの期間を給付でつなぎ、その間に次を決める道もあるのです。限界まで働きながら3月を待つことだけが、年度末退職ではありません。そして、こうした給付を受けるには診断書の提出など所定の手続きが必要になります。動けるうちに、学校の事務担当か共済組合の窓口に「病気で休む場合のお金はどうなりますか」と一度聞いておくだけでも、いざというときの安心感が違います。

年度末退職と年度途中退職、それぞれの現実

結論から書くと、年度末退職は区切りが良く円満に進みやすい、年度途中退職は調整ごとが増えるが体を守れる、というのがそれぞれの特徴です。そして大事なのは、どちらも「選べる」ということです。年度途中の退職は禁止されていません。

まず年度末の現実です。学校は4月始まりで動いているので、3月31日付けの退職は担任や校務分掌の引き継ぎが年度替わりと重なり、学校運営への影響が最も小さいとされています。周囲の反応も穏やかで、後任の手配も新年度の人事の中で行われます。私も結果的に年度末退職でしたが、実際には休職で年度の早い段階から現場を離れていたので、この区切りの良さは書類の上での話でした。

次に年度途中の現実です。法律上、年度途中の退職は可能です。公立学校の教員は地方公務員なので、民間でよく言われる「2週間前の申し出」がそのまま当てはまるわけではなく、一般に、退職は任命権者の承認を経て決まる仕組みとされています。そのうえで、自治体の規定ではおおむね10日前から1ヶ月前までに退職願を提出すると定められている例が多いようです(自治体により異なります)。実際には、後任の先生の手配などがあるため、管理職と退職日を相談しながら決めていく流れになることが多いと思いますが、「引き継ぎが終わるまで辞められない」「年度途中は認められない」という決まりはありません。

それでも年度途中に踏み切れないのは、制度ではなく気持ちの問題が大きいはずです。「子どもたちを見捨てるようで申し訳ない」「同僚に迷惑をかける」。そう感じて動けなくなる先生は多いと思います。実際、私は休職という形で年度の途中に現場を抜け、多くの人に迷惑をかけました。ただ、それでも学校は回っていました。組織とはそういうものです。むしろ、無理を重ねた末にある日突然倒れて抜けるほうが、周囲への影響は大きくなります。計画的に抜ける年度途中退職は、突然の離脱よりずっとましな選択です。

もうひとつ、私の実例から言える形があります。年度途中に「退職」ではなく「休職」で現場を離れ、退職日そのものは後からゆっくり決めるという道です。体は今すぐ守れて、退職の時期は落ち着いてから選べます。私はこの形で、実質的には年度の前半に現場を離れながら、書類の上では年度末退職という区切りに落ち着きました。時期で迷い続けて消耗している人には、この順番を検討してほしいです。

切り出しと手続きの現実。大変なのは辞めた後だった

結論から書くと、「辞めます」と伝えること自体は、思っていたよりあっけなく終わります。私にとって本当に大変だったのは、辞めた後に押し寄せてくるお金まわりの手続きでした。時期を決めるときは、退職後の手続きにかかる体力まで見込んでおいてほしいです。

切り出しの場面から書きます。私は夏休みに入る前に、校長に辞める気持ちを伝えました。実際の場面は、静かに終わりました。復職への圧もありませんでした。周りの先生たちがご飯に連れて行ってくれたりもしましたが、当時の私にはそのやさしさもしんどく感じられました。診断書を学校に持っていくときは、誰かに見られていないかと心配で仕方なかったのを覚えています。それくらい、当時は人の目が怖くなっていました。同じような状態の人は、書類の提出を郵送にできないか相談するなど、無理のない方法を探してください。切り出す時期に正解はありませんが、私のように人事や後任の動く年度後半より前に伝えておくと、学校側も動きやすいのだろうとは感じました。

退職金の受け取りは、拍子抜けするほど簡単でした。問題はそのあとです。教員でいる間は、保険も年金も税金も全部給与から自動で処理されていました。辞めた瞬間、それが全部自分の仕事になります。

一般的な話をすると、退職して次の勤め先がない場合、年金は退職の翌日から14日以内に市区町村の窓口で国民年金への切り替え手続きが必要とされています。住民税は前年の所得に対して課される仕組みなので、退職した後も支払いは続き、給与天引きから自分で納付書で払う形に変わります。退職の時期によっては、残りの住民税が最後の給与や退職手当からまとめて引かれることもあります(詳細は市区町村や勤務先の事務担当に確認してください)。私の場合は、この年金の切り替え、財形貯蓄の解約、住民税の支払いといったお金まわりの手続きが、全部しんどかったです。病み上がりの体に、役所と書類の日々はこたえました。

だからこそ伝えたいのは、退職の時期を考えるとき、「退職日」をゴールにしないでほしいということです。辞めた後の1、2ヶ月は、役所の窓口と書類のやり取りに追われます。そこまで含めて自分の体力配分を考えると、時期の決め方が少し変わってくるはずです。可能なら、手続きの一覧を在職中に事務担当からもらっておくと、辞めた後の負担がだいぶ軽くなると思います。

「もっと病む前に辞めるべきだった」。時期選びでいちばん伝えたいこと

結論から書くと、退職の時期選びでいちばん重い失敗は、早すぎることではなく、遅すぎることだと私は思っています。早く辞めた後悔はやり直しがききますが、遅すぎた代償は体と心に残るからです。私の後悔も、まさにそれでした。

私は高校で部活動が嫌になり、正面から辞めるのではなく小学校への異動という形で逃げました。でも、小学校に行ってみても、結局しんどさから逃げることはできませんでした。場所を変えても、限界まで我慢してから動くという自分のパターンが変わっていなかったからです。そして働けなくなり、休職し、多くの人にかなり迷惑をかけました。もっと病む前に辞めるべきだった。これが、体を壊してから辞めた人間の、偽りのない振り返りです。

ただ、この経験がすべて無駄だったとも思っていません。私は「自分は教師には向いていない。組織にどっぷり浸かって言うことを聞くのが向いていない」ということが、はっきりわかりました。それがわかったからこそ、再就職ではなく開業という道を選べました。辞めてからは塾を軸に、ライターの仕事、レザークラフト、非常勤講師を並行して、初年度から教師時代と同じくらいの収入になりました。時間も、健康も、人間関係も、自分で決められる生活です。辞めたこと自体は、全てよかったと言い切れます。なお、私が時期を選べたのは、在職中に貯金500万円を作り、簿記2級を取り、書く仕事などの副業の種をまいていたからでもあります。時期の話と準備の話はセットなので、準備については別の記事にまとめています。

だからこそ、いま時期で迷っているあなたに伝えたいのは、こういうことです。年度末まで持ちそうなら、給付や手続きの面で区切りの良い年度末が現実的です。持ちそうにないなら、年度途中の退職も、その前に病気休暇や休職で現場を離れることもできます。私のように、休職で体を守りながら年度末を退職日にする形もあります。どの道を選んでも、あなたの人生は続きますし、立て直せます。

唯一やってはいけないのは、「3月までは」と自分に言い聞かせながら、壊れるまで我慢することです。それは私がやってしまった失敗です。時期は後からいくらでも整えられます。まず、今日のあなたの体と心を守ってください。眠れているか、朝起きられているか、涙が出ていないか。そこに黄色信号がともっているなら、退職日を決めるより先に、休む手続きと受診を考えてください。体が先、時期は後。この記事で覚えて帰ってほしいのは、この一言だけです。

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