結論から書きます。公立学校の教員は、心や体をこわして休職しても、すぐに収入がゼロになるわけではありません。一般に、まず病気休暇の期間(多くの自治体でおおむね90日)は給与が全額支給され、そのあと休職に入っても1年目はおおむね8割が支給されます。さらに無給になったあとも、共済組合の傷病手当金という支えがあります(いずれも自治体・共済組合により異なります)。
私は元公立教師です。高校から小学校に異動した年に適応障害と診断され、9ヶ月休職して、29歳の年度末に退職しました。私の場合、休職中の給料は「6ヶ月までは全額、それ以降は8割」だったと記憶しています。退職金も受け取りました。
この記事では、Webや自治体の資料で調べた一般的な制度の仕組みと、私自身のお金の実録を、はっきり分けて書きます。「いま限界に近いけれど、お金が不安で休めない」という先生に、判断の材料を届けたいからです。
結論:教員は休職しても、収入はすぐにゼロにならない
最初に全体像です。公立教員が病気で長く休むときのお金は、一般に次の三段階で守られています(自治体・共済組合により異なります)。
- 病気休暇の期間(多くの自治体でおおむね90日)は、給与が全額支給される
- 病気休暇のあと休職に入ると、1年目はおおむね給与の8割が支給される
- その後は無給になるが、共済組合の傷病手当金として、給与のおおむね3分の2にあたる額が一定期間支給される
つまり、診断書を出して休んだ瞬間に生活が立ちゆかなくなる、という制度にはなっていません。病気による休職は多くの自治体で最長3年まで認められていて、その間ずっと無収入というわけでもありません。
「休んだらお金がなくなる」という不安は、限界まで働き続ける理由になりがちです。私自身、40度の熱が1週間続いても休めない働き方をしていました。当時の私は制度のことを何も知らず、「休む」という選択肢そのものが頭にありませんでした。けれど、後から制度を知ってみると、教員の休職は思っていたよりお金の面で守られていました。もしいま限界が近いなら、辞めるかどうかを決める前に、まず「休む」という選択肢を思い出してほしいです。お金の見通しは、心の見通しでもあります。「あと何ヶ月は収入がある」とわかるだけで、休むことへの罪悪感や焦りは少し軽くなります。私はそれを、休職してから知りました。
私の場合は9ヶ月の休職で、「6ヶ月までは給料が全額、それ以降は8割だった」と記憶しています。一般的な区分(病気休暇のあとに休職)と数え方が少し違って見えるのは、私の自治体の制度によるものか、病気休暇の期間を合わせてそう覚えているのか、正直なところ記憶が曖昧です。だからこそ、この記事では「一般的な制度」と「私の記憶」を分けて書いていきます。
そして大事なことをひとつ。制度の細かい条件は、自治体や共済組合ごとに本当に違います。正確な条件は、必ず勤務先の共済組合・事務担当に確認してください。学校事務の方はこうした相談に慣れています。聞くことは、恥ずかしいことでも迷惑なことでもありません。休みに入る前でも、休みに入ってからでも、問い合わせはできます。
なお、この記事で書くのは、公立学校で常勤として働く教員を想定した一般的な話です。臨時的任用や非常勤の先生、私立学校の先生は、加入している制度が違うため、扱いが異なる場合があります。ご自身の立場に当てはめる前に、必ず勤務先で確認してください。
私が休職するまで|病院に行ったきっかけは校長のすすめだった
先に結論を言うと、私は自分から病院に行けませんでした。職場の校長のすすめで心療内科を受診し、適応障害と診断されて、そのまま休職に入りました。
少しだけ経緯を書きます。私はもともと高校の教員でした。残業は月200時間、毎日12時間働き、部活動で土日もつぶれる生活。初年度は1年間で休みが10日ほどしかありませんでした。40度の熱が1週間続いても休めず、朝、学校に向かう車の中で涙が出てきたこともあります。
その部活動が嫌で、逃げるように小学校へ異動しました。ところが異動先では学級崩壊した教室を引き継ぐことになり、保護者の目も冷たく、勤務3ヶ月ほどで朝起きられなくなりました。子どもを感情で怒鳴ってしまったこともあります。いま振り返れば、あの頃の私は明らかに普通の状態ではありませんでした。
それでも、自分では「病院に行く」という発想が出てきませんでした。きっかけをくれたのは校長です。すすめられて心療内科を受診し、適応障害という診断を受けました。診断書を書いてもらい、校長に提出して、休職が始まりました。
いまでも覚えているのは、診断書を学校に持っていくときの気持ちです。誰かに見られていないか、ずっと気にしていました。休むことに、それくらい後ろめたさがあったのです。でも、後から思えば、あの診断書の1枚が私の生活と心を守ってくれました。
休職の期間は、最初から9ヶ月と決まっていたわけではありません。診断書に沿って3ヶ月ずつ延びていき、結果として合計9ヶ月になりました。私の場合、学校から復職への圧は全くありませんでした。「早く戻ってこい」と言われることもなく、静かに休ませてもらえました。これは本当にありがたかったです。
私の場合は、たまたま校長が受診をすすめてくれました。でも、もし周りにそう言ってくれる人がいなくても、病院に行くのに誰かの許可は要りません。「この程度で病院なんて」と思っている段階でも、行っていいのです。私も「自分はまだ大丈夫」と思っているうちに、朝起きられなくなっていました。
ひとつ添えておくと、私は医師ではないので、診断や治療について語る立場にはありません。ここに書いたのはあくまで「私の場合」です。もしあなたがいま、朝起きられない、涙が止まらない、といった状態なら、自分ひとりで判断せず、医療や相談の窓口につながってください。私のように誰かに背中を押してもらうのを、待たなくて大丈夫です。
休職中の給料の一般的な仕組み|病気休暇・休職・傷病手当金の三段階
結論:一般的な制度では、収入は「全額の期間」「8割の期間」「傷病手当金の期間」の順に、段階的に減っていきます。この章はWebで裏取りした一般的な内容で、私の体験談とは分けて書きます(金額や日数は自治体・共済組合により異なります)。
第一段階:病気休暇(一般におおむね90日・給与全額)
一般に、公立学校の教員が病気やけがで長く休む場合、まず使うのは病気休暇です。多くの自治体で、医師の診断書をもとにおおむね90日まで取得でき、この間の給与は全額支給されるのが通例です。年次有給休暇とは別の制度です。
90日はあくまで目安で、日数や運用は自治体によって異なります。大事なのは、「診断書があれば、給料を受け取りながらまとまった期間休める制度が、最初から用意されている」ということです。
第二段階:休職1年目(一般におおむね8割支給)
病気休暇の期間を超えても回復しない場合、休職に切り替わります。一般に、病気による休職の1年目は給与のおおむね8割が支給される自治体が多いようです。休職は診断書に沿って期間が決まり、多くの自治体で最長3年まで認められています。
私の場合も、休職は3ヶ月ずつの更新でした。一度に長い期間が決まるのではなく、診断書の期間ごとに延びていくイメージです。
第三段階:無給期間と傷病手当金(給与のおおむね3分の2)
休職が長くなると、給与の支給が止まる時期がきます(休職1年を過ぎた頃とする自治体が多いようです)。ここで支えになるのが、共済組合の傷病手当金です。給与のおおむね3分の2にあたる額が、一般に支給開始から1年6ヶ月(結核性の病気は3年)を上限として支給されます。
注意したいのは、給与が支給されている間は、傷病手当金は調整されて支給されないのが一般的だという点です。「給与の8割」と「傷病手当金」を同時に満額もらえるわけではなく、無給になってからの支え、と理解しておくとよいと思います。
まとめると、病気休暇で全額、休職1年目で8割、その後は傷病手当金で3分の2程度。段階的に減りはしますが、長く休んでも収入が完全に途切れにくい設計になっています。また、ここでいう「給与」に各種手当がどこまで含まれるかも、自治体や共済組合によって扱いが異なります。手取りでいくらになるかは、事務担当に試算をお願いするのが確実です。繰り返しになりますが、正確な条件は勤務先の共済組合・事務担当に確認してください。
私のお金の実録|6ヶ月まで全額、そのあと8割。退職金もあった
結論:私の場合、9ヶ月の休職中にお金で生活が立ちゆかなくなることはありませんでした。休む前に恐れていたほどの「お金の崖」は、実際にはありませんでした。
給料について、私は「6ヶ月までは全額、それ以降は8割だった」と記憶しています。前の章の一般的な区分とは数え方が違って見えますが、病気休暇の期間を含めてそう覚えているのか、私の自治体の制度がそうだったのか、いまとなっては正確にはわかりません。ここは断定せず、「私の記憶ではそうだった」とだけ書いておきます。数字の記憶は、時間がたつほど曖昧になるものです。あなたが確認するときは、私の記憶ではなく、必ずご自身の自治体の制度を見てください。
振り込まれる額が減っていくのは、正直なところ心細いものでした。働いていないのにお金をもらっていることへの申し訳なさと、この先どうなるのかという不安が、いつも頭の隅にありました。制度に守られていても、不安がゼロになるわけではありません。それでも「来月も振り込みがある」という事実は、回復に専念するための土台になってくれました。
それでも生活が揺らがなかったのは、支えがふたつあったからです。実家暮らしだったことと、貯金が500万円あったことです。この貯金は、何かあったときに生活を守るためのお金として貯めていたものでした。生活費そのものが小さかったので、給料が8割になっても暮らしは変わりませんでした。もしあなたが一人暮らしで家賃を払っているなら、感じ方は私と違うはずです。だからこそ、休みに入る前に「全額もらえる期間はどれくらいか」「減るのはいつからか」を事務担当に聞いておくと、お金の見通しが立って、安心して休みやすくなると思います。数字がはっきりすると、不安は少し小さくなります。
そして退職金の話です。私は休職の末に年度末で退職しましたが、退職金もありました。一般に、公立教員の退職手当は自己都合退職でも勤続年数に応じて支給されます。勤続が短いと額は小さく、加算がつかない場合もありますが、休職していたからといって受け取れなくなるものではありませんでした。少なくとも私の場合は、普通に受け取れました。「休職したら退職金が消えるのではないか」と不安になっている人には、私の実例がひとつの安心材料になればと思います。退職手当の計算方法や休職期間の扱いは自治体の条例で決まっているので、気になる人は、これも事務担当に聞いてみてください。
休職中の過ごし方|最初の頃は、何もできなかった
結論から言うと、休職して最初の頃の私は、何もできませんでした。そしていま振り返ると、それでよかったのだと思います。休むことに専念できたからこそ、9ヶ月後に次の道を選べたのだと思うからです。
休職が決まったとき、頭の中には「この時間で次の準備をしなければ」という焦りがありました。転職を考えて公務員試験を受けようとしたり、自営業を視野に簿記などの資格を取ろうとしたり。でも、最初の頃はしんどくて、何も手につきませんでした。机に向かう体力も気力も、残っていなかったのです。いま思えば、あの「何もできない」は怠けではなく、回復に必要な過程でした。
実際の毎日は、家でゴロゴロして、昼間に散歩をするだけでした。散歩をわざわざ昼間にしていたのは、朝や夕方だと、通学中の子どもたちや保護者に会ってしまうかもしれなかったからです。休んでいる自分を見られたくない。あの頃は、そんな気持ちで外に出る時間を選んでいました。同じように、人目を避けて過ごしている休職中の先生は、きっと少なくないと思います。
周りの先生がご飯に連れて行ってくれることもありました。ありがたかった一方で、正直、しんどさもありました。断る元気もなく、かといって楽しむ元気もない。心が弱っているときは、人の好意すら重く感じることがあるのだと、あのとき初めて知りました。
いま同じ状況にいる先生に伝えたいのは、「休職の前半は、回復だけが仕事」ということです。焦って資格の勉強や転職活動を始めなくても大丈夫です。私も休職の後半になってようやく、少しずつ次のことを考えられるようになりました。順番として、回復が先。動くのはそのあとで間に合います。
それに、休職中に「復職か退職か」をすぐ決める必要もありません。私の休職は3ヶ月ずつの更新だったので、区切りが来るたびに「もう少し休むか、どうするか」を考え直すことができました。先の見えない長い休みに思えても、実際には区切りごとに立ち止まって選び直せる仕組みになっています。だから、休みに入る時点で結論を出しておく必要はないのです。決断は、元気が少し戻ってきてからのほうが、きっと確かなものになります。
そして、もしいま、つらさが深くて誰にも話せない状態なら、どうかひとりで抱えないでください。厚生労働省の相談窓口サイト「まもろうよ こころ」には、電話やSNSで相談できる窓口がまとまっています。学校や家族には話しにくいことも、外の窓口になら話せることがあります。
退職とお金の手続き|退職金は簡単、それ以外が全部しんどかった
結論:退職金の受け取りはあっけないほど簡単でした。しんどかったのは、そのあとに続くお金まわりの細かい手続きです。
時系列を先に書いておくと、辞める気持ちは夏休み前に校長へ伝えました。最終的な退職日は年度末です。辞意を伝えた時期と休職の期間がどう重なっていたかは、記憶が前後している部分があるので、ここでは事実だけを置いておきます。
退職日を年度末にした理由のひとつは、お金でした。新年度から個人事業主として塾を始める予定があり、制度のうえでは、そこまで傷病手当金という支えを受けられる見込みがあったからです。一般に、共済組合の傷病手当金には退職後の継続給付という仕組みがあり、退職まで一定期間以上組合員だったこと、退職時に支給の要件を満たしていたことなどの条件がそろうと、退職後も引き続き受けられる場合があります。ただし、自分で事業を始めるなど「働ける状態」になると支給されなくなるのが一般的です。私自身、どの期間にどの形で受け取ったかの細部は記憶が曖昧なので、ここは断定せずに書いています。休職から退職を考えている人は、退職日を決める前に、共済組合に継続給付の条件を確認しておくことを強くすすめます。退職日が数日違うだけで扱いが変わることもあり得るからです。
退職金の受け取り自体は、本当に簡単でした。案内に沿って書類を出せば、振り込まれる。それだけでした。
大変だったのはそこからです。年金の切り替え、財形貯蓄の解約、住民税の支払い。このみっつが、回復途中の身には想像以上に重くのしかかりました。財形貯蓄は勤め先を通じた制度なので、退職にあわせて解約の手続きが必要でした。ひとつずつは小さな手続きなのに、積み重なると本当に疲れました。
一般的な話をすると、退職して次の勤め先がない場合、年金は国民年金への切り替え手続きが必要です(原則として退職後14日以内とされています)。健康保険も、共済の任意継続にするか国民健康保険に入るかを選ぶことになります。住民税は前年の所得に対してかかるため、辞めたあとにも納付の通知が届きます。給与から天引きされていた頃と違って、まとまった額を自分で納める形になるので、心づもりが必要です。
私の場合、ひとつひとつは難しい手続きではないのに、「調べて、書類を書いて、出しに行く」という一連の動作が、弱った心にはこたえました。これから退職する人は、手続きを紙に書き出して、1日1件ずつ片づけるくらいのゆっくりしたペースでいいと思います。全部を一度にやる必要はありません。
ふりかえり|もっと病む前に、決断すればよかった
最後に、9ヶ月の休職と退職を経験した私のふりかえりです。結論はひとつ。もっと病む前に、決断すればよかった、ということです。
休職までの私は、多くの人にかなり迷惑をかけました。学級のこと、引き継いでもらった仕事のこと、心配をかけた家族のこと。限界を超えてから倒れたことで、自分が苦しいだけでなく、周りへの影響も大きくしてしまいました。もっと早く「休む」か「辞める」かを決めていれば、と今でも思います。
高校で部活動が嫌で、逃げるように小学校へ移った私でしたが、小学校に行ってみても、結局しんどさから逃げることはできませんでした。場所を変えても、しんどさの根っこは追いかけてきたのです。異動や転勤で環境が変われば楽になるはず、と考えている人には、私のこの経験も材料にしてほしいと思います。変わって楽になる人も、もちろんいるはずです。ただ私の場合は、そうではありませんでした。
ただ、休職の9ヶ月があったからこそ、わかったこともあります。私は教師には向いていない。もっと言えば、組織にどっぷり浸かって言うことを聞き続けるのが向いていない。それがはっきりわかったのは、遠回りしたなりの収穫だったと、いまでは思えます。
退職後は、塾を開き、WEBライターやレザークラフト、非常勤講師を組み合わせて働きました。初年度から教師時代と同じくらいの収入になり、時間も健康も人間関係もお金も、自分でコントロールできるようになりました。私は辞めて、全てよかったと思っています。もちろん、組織を離れたいまは、毎月決まった給料がある安心感はありません。不安が消えたわけではなく、いまも自分なりに備えを続けています。それでも、この選択を後悔したことはありません。
それでも、この記事でいちばん伝えたいのは「辞めましょう」ではありません。「まず休みましょう」です。教員には病気休暇と休職という制度があり、休んでもすぐには収入が途切れない仕組みが用意されています。休んで、少し回復してから、辞めるかどうかをゆっくり考えればいい。私が9ヶ月の休職を経て次の道を選べたように、順番は「休む」が先でいいのです。休むための制度は、あなたが使うために用意されています。
繰り返しになりますが、給与・傷病手当金・退職手当の正確な条件は、勤務先の共済組合・事務担当に確認してください。そして、いまいちばんしんどい時期にいる先生へ。あなたの体と心より大事な仕事は、この世にありません。


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