教師を辞めたいけど言えない人へ|元教師が言い出せなかった理由

教師を辞めた話

先に結論から言います。「辞めたい」と言えないあなたは、弱いわけでも、覚悟が足りないわけでもありません。言えないのには、ちゃんとした理由があります。安定した立場や社会的な信用を簡単に手放せないのは当たり前ですし、まわりに迷惑をかけたくないと思う優しさがあるから、口に出せないのです。私自身、高校から小学校に異動して3ヶ月、29歳で公立教師を辞めましたが、辞めるまでずっと「辞めたい」を冗談っぽくしか言えませんでした。この記事では、なぜ教員は辞めたいと言えないのかを正直に分解したうえで、言えないまま自分の心を守る方法と、最初の一歩を、同じ道を通った先輩としてお伝えします。今すぐ辞める決断をしなくて大丈夫です。まずは、ここで一緒に深呼吸しましょう。

「辞めたい」を冗談っぽくしか言えなかった私の話

正直に打ち明けます。私は現役の頃、「辞めたいんだよね」を、いつも笑い話のトーンでしか口にできませんでした。同僚の前でも、『辞めたい』はいつも笑い話の形でしか出てきませんでした。本気で言っているのに、本気だと悟られないように、わざと軽くするのです。今思えば、あれは自分の本心に保険をかけていたのだと思います。本気で言って否定されたら、もう逃げ場がなくなる。だから冗談という鎧を着せていました。冗談なら、まわりに笑ってもらえる。傷つかずに済む。けれど、その軽さの裏で、本心はずっと助けを求めて手を挙げていたのだと思います。

なぜ本気で言えなかったのか。いちばん大きかったのは、今の地位を捨てられなかったことです。教師という仕事には、安定した収入と、社会的な信用がついてきます。世間から「先生」と呼ばれ、まじめで信頼できる人だと見てもらえる。その立場を自分の口で手放すと宣言するのが、どうしてもこわかった。平均以上の収入と、誰からも認められる肩書き。それを失ったあとの自分の姿が、当時はどうしても想像できなかったのです。安定を手放すというのは、それだけ重たいことでした。

そのこわさの裏側で、体と心は確実に削られていました。部活動で土日もなく、残業は月に200時間、毎日12時間労働。心が休まる暇など、どこにもありませんでした。高校時代は、朝、車を運転している時に理由もなく涙がポロポロこぼれてきたことがあります。40度の熱が1週間続いても休めませんでした。初年度は、1年で休みが10日ほどしかなかったほどです。今思えば、体のほうが先に悲鳴を上げていたのに、私はそれを見ないふりをしていました。

それでも辞めると言えなかった。むしろ「これだけしんどいのに辞めたいと言えない自分は、なんて弱いんだ」と、自分を責めていました。でも今ならはっきり言えます。あれは弱さではなく、追い詰められて視野が狭くなっていただけです。長時間労働で心がすり減ると、人は冷静に物事を考えられなくなります。辞めるという選択肢そのものが、頭の中で正しく評価できなくなるのです。だから言えないのは当然でした。あなたが今、言えずにいるのも、きっと同じ理屈なのだと思います。自分を責める必要は、どこにもありません。

もし今のあなたが、当時の私のように笑いながらしか「辞めたい」を言えないなら、それはあなたの本心が、ちゃんと助けを求めているサインです。冗談の形を借りてでも口に出しているということは、心のどこかで限界を知らせようとしている。その声を、どうか無視しないであげてください。声を出せているだけで、あなたはもう、自分を守る一歩を踏み出しているのです。

なぜ教員は「辞めたい」と言えないのか

言えないのには理由があります。ここでは、その理由を一つずつ分解していきます。自分がどれに当てはまるかを知るだけでも、心はずいぶん軽くなります。「言えないダメな自分」ではなく、「こういう構造の中にいる自分」として見られるようになるからです。原因が自分の性格ではなく外側の仕組みにあると分かれば、必要以上に自分を責めずに済みます。

ひとつ目は、すでに書いた安定と社会的信用を手放すこわさです。教員は身分が安定しています。収入も平均より上で、世間からの信頼も厚い。これを自分から捨てると言うのは、地に足のついた場所を自分で崩すような感覚になります。「辞めたい」と口にした瞬間、その安定が壊れ始める気がして、言えなくなるのです。けれど、その安定が今のあなたの心と体を守ってくれているかというと、必ずしもそうではないはずです。

ふたつ目は、まわりに迷惑をかけるという罪悪感です。年度の途中で抜ければ、子どもたちはどうなるのか。同僚の負担が増えるのではないか。保護者になんと言われるか。教員ほど「責任感」を内面化している職業は少ないと思います。私自身、小学校では前年度から学級崩壊していた学年を引き継ぎ、保護者の目も冷たい中で、それでも「自分が投げ出してはいけない」と思い込んでいました。その責任感は尊いものですが、同時に、自分を縛る鎖にもなります。子どもや同僚を思う気持ちが強い人ほど、自分のことを後回しにしてしまうのです。

みっつ目は、頑張りが評価される尺度がないことへの無力感です。私は研究授業も人一倍やり、本も人より読んで勉強しました。それでも評価されない。そもそも、何をどう頑張れば報われるのかという尺度自体が存在しない。頑張り損だと感じました。こうなると、「辞めたい」と言っても、何をどう改善すれば残れるのかも分からない。言葉にしても解決の糸口が見えないから、言うこと自体をあきらめてしまうのです。出口の見えない努力ほど、人の心をすり減らすものはありません。

よっつ目は、狭い世界の中にいる感覚です。これは辞めてから強く実感したことですが、現役の頃の私は、かなり狭い世界の中で悩んでいました。学校という閉じた空間で、毎日同じ顔ぶれと、同じ価値観の中にいると、そこがこの世のすべてに思えてきます。「ここを辞めたら自分には何もない」という錯覚にとらわれる。だから「辞めたい」と言うことが、人生そのものを否定するように感じられて、口に出せなくなるのです。実際には外に出れば仕事は無数にあるのですが、中にいる時はそれが見えませんでした。

いつつ目は、同僚と本音で話せない環境です。私は「なぜ残業ありきで仕事をしているのか」という疑問を、ずっと抱えていました。その違和感のせいで、同僚と心から仲良くなれなかった。本音を話せる相手が職場にいないと、「辞めたい」という重い言葉を、誰にも預けられません。一人で抱え込むしかなくなるのです。一人で抱えた言葉は、どんどん重くなって、やがて口にすることさえできなくなります。

こうして並べてみると、言えないのはあなたの性格の問題ではなく、教員という仕事を取り巻く構造のせいだと分かってもらえると思います。言えないのは、あなたが真面目で、責任感があって、優しいからです。それは責められるべきことでは決してありません。むしろ、その優しさと真面目さは、これから先のあなたを支えてくれる大切な力でもあります。

言えないまま、自分の心と体を守る方法

「辞めたい」と言えなくても、自分を守ることはできます。むしろ、すぐに辞めると言わなくていいので、まずは心と体を守ることだけを最優先にしてください。私は退職する前に、9ヶ月間休職していた時期があります。診断は適応障害でした。あの休職がなければ、もっと取り返しのつかないことになっていたかもしれません。だからこそ、限界が来る前に手を打ってほしいのです。心と体は、一度大きく壊れると、戻すのに長い時間がかかります。

まず、自分の体と心が出しているサインに気づいてください。私の場合は、眠れない、朝起きられない、休日も仕事のことが頭から離れない、という状態が続きました。小学校時代には、朝どうしても起きられなくなり、子どもを感情で怒鳴ってしまったこともあります。さらに、「自分がいなくなったらどうなるか」を考えてしまう瞬間さえありました。今振り返ると、あれは完全に危険信号でした。もし今あなたが、これらのうち一つでも当てはまるなら、それは気合いで乗り切るものではなく、ケアが必要な状態かもしれません。

私は医師ではないので、あなたを診断することはできませんし、するつもりもありません。だからこそお願いしたいのは、専門家の力を借りてほしいということです。心療内科や精神科は、決して特別な人が行く場所ではありません。眠れない、起きられない、涙が止まらない。そういう状態なら、風邪で内科に行くのと同じように受診していい場所です。「これくらいで行っていいのかな」とためらう人ほど、本当は早く行ったほうがいいのだと思います。私自身も、もっと早く頼ればよかったと感じています。

夜中に一人で苦しくなったとき、誰かに話を聞いてほしいときは、いのちの電話などの相談窓口もあります。限界だとまで思っていなくても、ただつらいというだけで、頼っていい場所です。一人で抱え込まず、声を出していい場所が、ちゃんと用意されています。電話が苦手なら、文字で相談できる窓口もありますから、自分が使いやすいものを選んでください。

そして、自分の心を守るための、いくつかの具体的な行動をお伝えします。

  • 休職という制度があることを知っておく。多くの自治体や学校には休職の仕組みがあり、医師の診断書があれば取得できる場合があります。辞めるかどうかを決めるのは、休んで頭と体が回復してからで十分です。追い詰められた状態で人生の決断をしないこと。これがいちばん大切です。
  • 「辞めない」と「辞める」の間に、休むという選択肢があると覚えておく。多くの人は、続けるか辞めるかの二択で考えて苦しみます。でも本当は、いったん離れて休むという真ん中の道があります。休んでから考えても、決して遅くはありません。
  • 信頼できる第三者に話す。職場の同僚に本音を言えなくても、家族や、学校の外の友人、かかりつけの医師など、利害関係のない人になら話せることがあります。声に出すだけで、頭の中が整理されます。

勘違いしないでほしいのは、休むことや専門家に頼ることは、逃げでも甘えでもないということです。骨折した人に「気合いで走れ」と言わないのと同じで、心がすり減っているなら、まず治すのが先です。辞めるかどうかの判断は、あなたが元気を取り戻してから、はじめてフェアにできるのです。今のあなたに必要なのは、決断ではなく、休息かもしれません。どうか、自分の心と体を、いちばん後回しにしないであげてください。

言い出すための最初の一歩|記録・第三者・制度

心と体を守ったうえで、それでも状況を動かしたいと思ったら、いきなり「辞めます」と宣言する必要はありません。大きな決断の前に、小さな一歩を踏むこと。これが、言えない自分を少しずつ前に進めるコツです。ここでは三つの一歩を紹介します。どれも、今日や明日から、誰にも知られずに始められることばかりです。

ひとつ目は、記録を残すことです。自分が今どれだけ働いているのか、出勤と退勤の時刻、土日の出勤、どんなときに体や心がつらくなったかを、メモでいいので書き留めておきましょう。私は当時、自分の状態を客観的に見られていませんでした。記録があれば、「これだけ働いている」「こういうサインが出ている」という事実が形になります。後で休職や退職を相談するとき、医師に状態を伝えるときにも、この記録が自分を助けてくれます。何より、文字にすることで「これは異常な状態なのだ」と自分で認められるようになります。頭の中だけで抱えていると、つらさの輪郭がぼやけてしまうのです。

ふたつ目は、第三者に相談することです。学校の中で言いにくいなら、外の人に相談すればいい。心療内科や精神科の医師、家族、学校の外の友人。利害関係のない相手だからこそ、冷静な意見をくれます。もし職場の働き方そのものに問題があるなら、各都道府県には公立学校の教員が相談できる窓口や、労働に関する相談先もあります。一人の頭の中だけで考えていると、どうしても視野が狭くなります。外の声を入れることで、「辞めたい」がただのわがままではなく、正当な訴えなのだと気づけることがあります。

みっつ目は、制度を知り、使うことです。前の章でも触れた休職制度のほか、退職そのものにも手続きがあります。もし、あまりに追い詰められて自分で退職を申し出ることすら難しい場合、世の中には退職の手続きを代行するサービスもあります。ただし、もし使うなら、弁護士または労働組合が運営する合法な業者に限ってください。それ以外の業者は、本人に代わって会社や学校と交渉する法的な権限がない場合があり、かえってトラブルのもとになります。ここは慎重に選んでほしいところです。あわてて選ばず、信頼できる相手かどうかを確かめてから頼ってください。

そして、これは順番がとても大切なのですが、次のように一歩ずつ進めるイメージを持ってください。

  1. まず、自分の状態を記録して、客観的に見えるようにする。
  2. 次に、心と体がつらいなら、専門家を受診する。
  3. そのうえで、休職や働き方について、信頼できる第三者や窓口に相談する。
  4. 最後に、辞めるかどうかを、回復した頭で落ち着いて決める。

大事なのは、「辞める」を最初のステップにしないことです。言えないあなたが、いきなり最大の一歩を踏もうとするから苦しいのです。小さな一歩から始めれば、言葉にできなかったものが、少しずつ形になっていきます。記録を取るだけなら、誰にも言わずに今日からできます。その一歩で十分です。最初の一歩さえ踏めれば、二歩目はきっと、思っているより軽くなります。

辞めた後の世界は、思っていたより広かった

ここから先は、実際に辞めた私が見た景色の話です。今まさに「辞めたい、でも言えない」と苦しんでいるあなたに、外の世界がどう見えるかを知ってほしくて書きます。ただし、現役のあなたに副業を勧める話ではありません。公立教員は副業が原則として禁止されています。これから書くのは、あくまで「辞めると決めた後」「辞めた後」の私の話として読んでください。

私は退職後、人口3万人未満の地方で個別指導塾を開きました。今は、塾のほかに、WEBライター、レザークラフト、非常勤講師など、複数の収入源を組み合わせて生計を立てています。辞めると決めてから、収入の入り口を一気に多様化させたのです。簿記2級も取りました。家庭教師のボランティアもしました。正直に言えば、うまくいかなかったものもあります。YouTubeとブログは、収入の柱にしようと始めたものの、形になりませんでした。それでも、いくつもの柱を立てておいたおかげで、今があります。一本の柱が折れても、すぐに倒れずに済むのです。

気になる収入の話をすると、退職した初年度から、教師時代と同じくらいは稼げました。「辞めたら食べていけない」というのは、中にいた頃の私がいちばん恐れていたことでしたが、実際には、外に出れば仕事は本当に無数にありました。起業も、転職も、いろいろな道があります。狭い世界の中にいた頃には、まったく見えていなかった広さです。あの頃の私に、いちばん教えてあげたい事実かもしれません。

もちろん、良いことばかりではありません。正直に言うと、辞めて失ったいちばん大きなものは「安心感」です。毎月決まった給料が振り込まれる安定は、もうありません。だから常に不安と隣り合わせです。少子高齢化、人口3万人未満の地域であること、地震のリスク。将来への不安は、今でもずっとあります。その不安と向き合うために、私は投資を早く始めて、経済的に自立できる状態を目指しています。自由には、自分で責任を持つという代償がついてくる。これは正直にお伝えしておきます。

それでも、辞めたことを後悔しているかと聞かれたら、私の答えは「全てよかった」です。何より、自分のしたいように生きられている。時間も、健康も、人間関係も、お金も、すべてが自分のコントロール下にあるという感覚があります。あの頃、車の中で涙を流していた自分には、想像もできなかった毎日です。

ひとつだけ、誠実にお伝えしておきたいことがあります。私と一緒に辞めて起業した友人がいました。けれど、その友人はメンタルがしんどくなってしまい、独立から3ヶ月で離れていきました。辞めることが、誰にとっても正解というわけではありません。だからこそ、私は安易に「今すぐ辞めよう」とは言いません。準備と、心の回復と、自分に合った道を選ぶことが大切です。私の場合は、辞める前に、実家暮らしのまま貯金500万円を生活防衛費として確保していました。この備えがあったから踏み出せたのだと思います。お金の不安が小さくなるだけで、決断はずっとしやすくなります。

最後に、いちばん伝えたいことを書きます。教師を辞めて感じたのは、自分はかなり狭い世界の中で悩んでいたということでした。平均以上の収入や社会的信用を手放すのは、たしかに不安です。けれど、手放してみて分かったのは、肩書きなんて思っていたよりずっとどうでもよかった、ということです。本当に大事なのは、自分の心と体、そして自分を大事にしてくれる人に時間を使うこと。それだけでした。

自分で未来を切り開くのは、正直しんどいです。でも、そのしんどさの先にあるやりがいや自由、充実感は、桁違いでした。だから、もし今あなたが「辞めたい、でも言えない」と苦しんでいるなら、こう伝えたいのです。言えないあなたは弱くない。言えないのには、ちゃんと理由がある。そして、辞めても、なんとかなります。今日できる小さな一歩を、どうか自分のために踏んでみてください。あなたの心と体は、あなたが守っていいのです。

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そして、辞める前の準備を一枚にまとめた「教師を辞める前の準備チェックリスト」(無料・PDF)もどうぞ。一つずつでかまいません。

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