先に結論をお伝えします。もしあなたの心と体がすでに限界を超えているなら、「辞めるか、辞めないか」を今この瞬間に決める必要はありません。まず先にやるべきことは、自分を守ることです。眠れない、朝起きられない、休日も仕事のことが頭から離れない。そんな状態のときに、人生を左右する大きな決断を下すのは危険です。私自身、教員を辞める前に適応障害で9ヶ月間休職しました。あのときは「逃げているのではないか」と自分を責めましたが、今振り返れば、あれは逃げではなく、自分の命を守るために必要な時間でした。この記事では、まず限界のサインを一緒に確認し、そのうえで今日からできる小さな一歩をお伝えします。
朝、運転中に涙がこぼれたあの日のこと
私は元公立教師です。高校で勤めたあと小学校へ異動し、最終的には29歳で教員を退職しました。今でこそ地方で個別指導塾を開いたり、WEBライターやレザークラフト、非常勤講師など複数の収入源を組み合わせて暮らしていますが、教員時代の私は、本当に追い詰められていました。
はっきりと覚えている場面があります。高校の教員をしていた頃、朝、車を運転して学校へ向かっている途中で、急に涙がポロポロとこぼれてきたのです。悲しいことがあったわけでも、誰かに何かを言われたわけでもありません。ただ、ハンドルを握っていたら、自分でも理由がわからないまま涙が出てきました。今思えば、あれは心が発していた限界のサインでした。けれどあのときの私は、その涙の意味に気づこうとせず、目元を拭ってそのまま学校へ向かいました。
当時の働き方は、今思い出しても異常でした。部活動の指導で土日もほとんど休みがなく、残業は月に200時間ありました。毎日12時間労働が当たり前で、心が休まる暇など一秒もなかったのです。初年度にいたっては、1年間で休みが10日ほどしかありませんでした。40度の熱が1週間続いても、休むことができませんでした。自分が休めば誰かに迷惑がかかる、授業が止まる、そう思い込んでいたからです。
このときの私の体は、確実に悲鳴を上げていました。けれど私は、その声を無視し続けました。なぜなら、教員という仕事には「休む」という選択肢がないように感じていたからです。同僚もみんな同じように働いていて、弱音を吐くことは甘えだと、どこかで思い込んでいました。今、当時の自分に声をかけられるなら、こう言いたいです。「その涙は、あなたが弱いからじゃない。働き方が、人間の限界を超えていただけだ」と。
もしあなたが今、似たような状態にあるなら、どうか覚えていてほしいのです。体が出すサインを、根性や気合いでねじ伏せ続けることはできません。一時的にはごまかせても、必ずどこかで限界がきます。私の場合、それが涙でした。あなたの場合は、別の形で出ているかもしれません。眠れない夜かもしれないし、食欲がないことかもしれない。そのサインを見て見ぬふりせず、まず「自分は今しんどいんだ」と認めてあげることが、すべての出発点になります。
小学校で、子どもを怒鳴ってしまった自分が怖かった
高校から小学校へ異動したあと、私の状態はさらに悪化していきました。受け持つことになった学年は、前年度から学級崩壊が続いていたクラスでした。子どもたちは荒れていて、保護者の目も冷たく、誰も味方がいないような感覚の中で毎日を過ごしていました。日々、保護者からのプレッシャーがありました。何をしても責められているような気がして、心が休まりませんでした。
そんな日々が続く中で、私は朝、起きられなくなりました。布団から出ること自体が、以前よりずっと困難になっていったのです。これは、心が限界に近づいているときに多くの人に現れるサインだと、後になって知りました。
そして、今でも思い出すと胸が痛む出来事があります。ある日、私は子どもを感情にまかせて怒鳴ってしまったのです。教育的に必要な指導としてではなく、自分の余裕のなさからくる感情の爆発でした。怒鳴ったあと、私は自分が怖くなりました。「自分は教員に向いていないのではないか」ではなく、「自分は今、まともな精神状態ではないのではないか」と感じたのです。本来の自分なら絶対にしないことを、してしまった。それは、私の心がもう持ちこたえられなくなっているという、何より明確なサインでした。
このとき私が痛感したのは、限界を超えた状態は、自分一人を壊すだけでなく、目の前の子どもたちにも影響してしまうということです。教員という仕事は、自分が健やかでなければ、本当の意味で子どもに向き合えません。心がすり減った状態で立ち続けることは、誰のためにもならないのです。これは、あなたを責めるために言っているのではありません。むしろ逆です。もしあなたが今、本来の自分らしくない振る舞いをしてしまって自己嫌悪に陥っているなら、それはあなたの人格の問題ではなく、限界を超えた環境が原因かもしれない、ということをお伝えしたいのです。
当時の私には、相談できる相手もいませんでした。「なぜみんな残業ありきで仕事をしているのだろう」という違和感をずっと抱えていて、その感覚のせいか、同僚と心から打ち解けることができませんでした。研究授業も人一倍やり、本も人より読んで勉強しました。それでも評価されない。そもそも、頑張りを正しく測ってくれる尺度すら職場にはありませんでした。頑張り損だと感じていました。孤独の中で、私はどんどん追い詰められていきました。
これは限界のサインかもしれない、というチェック
私は医師ではありません。ですから、あなたの状態を診断することはできませんし、するつもりもありません。ここでお伝えするのは、あくまで「同じ道を通った元教員の実体験」です。そのうえで、私自身が限界を超えていたときに現れていたサインを、率直に書き出してみます。あなた自身を振り返るときの、ひとつの参考にしてください。
- 夜、なかなか眠れない。あるいは眠りが浅く、何度も目が覚める。
- 朝、起きられない。布団から出ることが、以前より明らかに難しくなった。
- 休日になっても、仕事のことが頭から離れない。心から休めない。
- 理由もなく涙が出る。感情のコントロールがうまくいかない。
- 本来の自分なら絶対にしないような言動を、してしまうことがある。
そして、これはとても大事なことなので、はっきり書きます。私はかつて、「自分がいなくなったらどうなるか」と考えてしまったことがありました。もし今、似たような気持ちが少しでも頭をよぎることがあるなら、それは何よりも優先して受け止めるべきものです。あなたの命より大切な仕事など、この世に一つもありません。
もし、消えてしまいたいというような気持ちが少しでもあるなら、どうか一人で抱え込まないでください。いのちの電話などの相談窓口は、まさにそういうときのために存在しています。匿名で、誰にも知られずに、ただ話を聞いてもらうことができます。電話をかけることに抵抗があるなら、お住まいの自治体の精神保健福祉センターなど、文字やメールで相談できる窓口もあります。「こんなことで連絡していいのか」と思う必要はまったくありません。そういう気持ちを話すために、それらの窓口はあるのです。
こうしたサインがいくつも当てはまるとき、それは「あなたが弱いから」でも「教員に向いていないから」でもありません。心と体が、これ以上は無理だと正直に教えてくれているのかもしれません。私の場合、これらのサインを長いあいだ無視し続けた結果、最終的に適応障害という診断を受けることになりました。早めにサインに気づき、手を打てていれば、もう少し違ったかもしれない。だからこそ、今しんどいあなたには、サインを軽く見ないでほしいと心から思っています。
9ヶ月の休職は、逃げではなかった
私は教員を辞める前に、9ヶ月間休職していた時期があります。診断は適応障害でした。休職に入ることを決めたとき、私の中には大きな葛藤がありました。「これは逃げではないか」「同僚に迷惑をかけてしまう」「休職したという経歴が、これからずっとついて回るのではないか」。そんな思いが頭をぐるぐると回っていました。
正直に言えば、私はなかなか「辞めたい」と口に出せない人間でした。「辞めたい」という言葉は、いつも冗談っぽく、笑い話のように言っていました。本気で辞めることを考えていなかったわけではありません。むしろ毎日考えていました。それでも本音を言えなかったのは、教員という仕事が持つ安定や社会的信用を、どうしても手放せなかったからです。今の地位を捨てることが、何より怖かったのです。
けれど、休職という時間を経て、私の考えは少しずつ変わっていきました。仕事から離れて、ようやく自分の心と体が回復していく感覚を得たとき、私はこう思ったのです。あの休職は、逃げではなかった。あれは、壊れかけた自分を立て直すために、どうしても必要な時間だった、と。もしあのまま無理を続けていたら、私は本当に取り返しのつかないところまで行っていたかもしれません。休職したからこそ、私は自分の人生を改めて考える余裕を取り戻せたのです。
今、辞めるかどうか迷っているあなたに伝えたいのは、休職という選択肢の存在です。多くの自治体や学校には、心身の不調に対応するための休職制度があります。これは、追い詰められた教員のために正式に用意されている仕組みであって、決してずるい手段でも、恥ずべきことでもありません。制度として認められた、あなたの権利です。いきなり「辞める」という大きな決断をする前に、まず休んで心と体を回復させ、それから冷静に今後を考える。その順番のほうが、はるかに安全です。
休職を考えるなら、まずは心療内科や精神科を受診してみてください。医師の診断書があれば、休職の手続きはぐっと進めやすくなります。受診そのものにハードルを感じる方も多いと思いますが、行ってみると、医師は驚くほど淡々と、けれど親身に話を聞いてくれます。「こんなことで病院に行っていいのだろうか」とためらう必要はありません。眠れない、朝起きられない、それだけでも受診する十分な理由になります。私自身、もっと早く専門家に頼っていればよかったと、今でも思っています。
辞めるか迷う前に、今日できる小さな一歩
ここまで読んで、「それでも何から手をつければいいのかわからない」と感じている方もいると思います。大きな決断はまだしなくていいので、今日できる、ごく小さな一歩をいくつかお伝えします。どれも、辞めることを前提にしたものではありません。まず自分を守り、少し冷静になるための一歩です。
- しんどさを紙に書き出す。頭の中だけで考えていると、不安は同じところをぐるぐる回り続けます。何がつらいのか、いつからつらいのか、思いつくまま紙に書き出してみてください。書くことで、自分の状態が少しだけ客観的に見えてきます。
- 信頼できる誰かに、一言だけ打ち明ける。家族でも、学校外の友人でも構いません。「実は今、けっこうしんどい」。たったそれだけの一言でいいのです。私は当時、誰にも本音を言えずに孤独の中で追い詰められました。だからこそ、一言でも外に出すことの大切さを、身をもって知っています。
- 休職制度について調べてみる。辞める決断をしなくても、自分の自治体や学校にどんな休職制度があるのかを知っておくだけで、心の逃げ道ができます。「いざとなれば休めるんだ」と思えるだけで、ずいぶん楽になります。
- 心療内科や精神科、相談窓口の連絡先を控えておく。すぐに行かなくてもいいのです。ただ、いざというときに頼れる場所をひとつ知っておくこと。それ自体がお守りになります。いのちの電話などの窓口の番号を、スマホにメモしておくだけでも違います。
- 有給を使う。記録を残す。取れる有給があるなら、思い切って一日休んでみてください。そして、もし長時間労働やつらい出来事があるなら、日付とともに簡単に記録しておきましょう。あとで休職や退職の手続きをする際、その記録が自分を守る材料になることがあります。
これらは、どれも「辞める」ことを意味しません。けれど、ひとつでも実行すれば、あなたは「ただ耐えるだけ」の状態から一歩抜け出すことができます。大切なのは、現状を変えるための行動を、ほんの少しでも自分の手で起こすことです。それだけで、見える景色が変わってきます。
なお、もし退職を本格的に考える段階になり、自分で退職を切り出すのがどうしても難しい状況であれば、退職代行というサービスもあります。ただし利用する場合は、弁護士または労働組合が運営する、合法的な業者に限ってください。それ以外の業者は、できることに限界があったり、トラブルの原因になったりすることがあります。ここは慎重に選んでほしいところです。
辞めた今、あの悩みは「かなり狭い世界」のことだったと思う
最後に、実際に教員を辞めた今の私から、正直なところをお話しします。辞めてよかったかと問われれば、正直に言えば、不安がまったくないわけではありません。それでも、教員だった頃に抱えていた悩みは、もうなくなりました。何より、自分のしたいように生きられている。時間も、健康も、人間関係も、お金も、すべてが自分のコントロール下にある。この感覚は、教員時代には一度も味わえなかったものです。
退職後、私は地方で個別指導塾を開業し、WEBライターやレザークラフト、非常勤講師など、収入源を一気に多様化させました。ありがたいことに、退職した初年度から、教師時代と同じくらいの収入を得ることができました。「辞めたら食べていけない」という不安は、教員でいた頃の私を縛りつけていた最大の鎖でしたが、実際に飛び出してみると、世の中には仕事が無数にありました。起業も転職も、道はいくらでもあったのです。
もちろん、いいことばかりではありません。正直に言えば、独立して一番大変なのは、安心感がないことです。毎月決まった給料が振り込まれるわけではないので、常に不安と隣り合わせです。少子高齢化や、人口3万人未満の地域に住んでいること、地震のリスクなど、将来への不安は今もずっとあります。だからこそ私は、投資を始めてFIREを目指し、お金の面で自分を守る準備を進めています。自由には、それと引き換えの責任が必ずついてくるのです。
そして、辞めることを誰にでも勧められるかというと、そう単純でもありません。私と一緒に辞めて起業した友人がいたのですが、その友人はメンタルがしんどくなってしまい、独立から3ヶ月ほどで離れていきました。独立して未来を自分の手で切り開くのは、本当にしんどい道でもあります。だからこそ、辞めると決めたあとには準備が必要です。私自身、辞める前に簿記2級を取り、WEBライターやレザークラフトで稼ぐ一歩手前まで準備を進め、家庭教師のボランティアも経験しました。何より、生活防衛費として貯金500万円を最優先で確保しました。実家暮らしで生活費を抑えながら貯めたこの備えがあったから、踏み出せたのも事実です。なお、現役教員は副業が原則として禁止されていますから、こうしたスキルや収入の準備は、あくまで「辞めると決めたあと」に進めるべき話だと、念のため付け加えておきます。失敗もありました。私の場合、YouTubeとブログは副業として続かず、うまくいきませんでした。
それでも、教員を辞めて一番強く感じたのは、自分はかなり狭い世界の中で悩んでいたということでした。安定した収入や社会的信用を手放すのは、確かに不安です。けれど辞めてみると、社会的な肩書きなど、どうでもよくなりました。それよりも、自分の心と体、そして自分を大事にしてくれる人たちに時間を使うことのほうが、はるかに価値がある。今は心からそう思えます。自分で未来を切り開くのはしんどいけれど、そのやりがいや自由、充実感は、教員時代とは桁違いです。
ですから、最後にもう一度だけお伝えします。辞めるか辞めないかは、今すぐ決めなくて大丈夫です。まずは自分を守ってください。休んでいい。逃げてもいい。それは弱さではありません。そして、もしいつか辞める日が来たとしても、辞めてもなんとかなります。同じ道を通った先輩として、私はそう感じています。どうか、あなた自身を、何よりも大切にしてください。
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