先に結論から言います。わたしは公立学校の教員を29歳で辞めましたが、辞めたことを後悔したことはありません。正直に言えば、独立した今も不安がないわけではありません。それでも、教員だった頃に抱えていた悩みは、もうなくなりました。時間も、健康も、人間関係も、お金も、いまは自分のコントロール下にある感覚があります。あの頃は想像もできなかった生き方です。ただし、良いことばかりだとは言いません。安心感がない、常に小さな不安と戦っている、という正直な大変さもあります。この記事では、元教師として実際に感じた「辞めてよかったこと7つ」を包み隠さず書き、最後に大変な部分にも触れます。同じように「辞めたい」と感じている現役の先生に、同じ道を通った先輩として、できるだけ正直にお伝えします。
わたしの簡単な経歴をお伝えしておきます。高校で勤めたあと小学校に異動し、その小学校で3か月ほど勤務して退職しました。退職前には、適応障害という診断で9か月間休職していた時期もあります。辞めたあとは、人口3万人に満たない地方で個別指導塾を開き、塾・WEBライター・レザークラフト・非常勤講師など、複数の収入の柱で独立して暮らしています。投資でFIRE(経済的自立と早期リタイア)を目指している、ごく普通の元教師です。
辞めてよかったこと1つ目:自分のしたいように生きられるようになった
いちばん大きかったのは、これに尽きます。自分のしたいように生きられるようになったこと。教員だった頃のわたしは、自分の人生なのに、自分でハンドルを握っている感覚がほとんどありませんでした。授業の進度も、行事も、部活動も、勤務時間も、自分以外の何かに決められていて、その流れに乗ること自体が仕事のようでした。土日に部活動があり、平日は毎日12時間労働で、心が休まる暇がありませんでした。
辞めてからは、何を仕事にするか、いつ働くか、誰と付き合うか、どこに住むか、そのすべてを自分で決められるようになりました。もちろん自由には責任がともないますが、その責任ごと自分の手の中にある、という感覚が、こんなにも人を落ち着かせるものなのかと驚いています。
正直に告白すると、辞める前のわたしは「辞めたい」という本音を、いつも冗談っぽくしか言えませんでした。教員という地位がもたらす安定や社会的な信用を、どうしても手放せなかったからです。安定した収入と肩書きを捨てるのは、本当に怖い。その気持ちはよく分かります。でもいま振り返ると、わたしはかなり狭い世界の中だけで悩んでいたのだと思います。学校という場所は、毎日通っていると世界のすべてに見えてきます。そこを一歩出てみたら、仕事は無数にあったし、生き方も無数にありました。
「自分のしたいように生きる」というと、わがままに聞こえるかもしれません。でもわたしが言いたいのは、もっと地味なことです。朝、自分の意思で起きる。今日やることを自分で決める。嫌だと思ったことに「嫌だ」と言える。当たり前のようでいて、教員時代のわたしには持てなかった、この小さな主導権の積み重ねが、いまの充実感を支えています。次の項から、その中身を具体的に分けてお話しします。
辞めてよかったこと2つ目:奪われていた「時間」が戻ってきた
2つ目は時間です。これは数字でお話しした方が伝わると思います。教員時代のわたしの残業は、月に200時間ありました。毎日12時間労働で、土日も部活動があり、休みらしい休みがありません。高校に勤めた初年度にいたっては、1年間で休めた日が10日ほどしかありませんでした。いま書いていても、よく体がもったなと思います。
当時のわたしは、その状態を異常だと感じる感覚すら麻痺していました。周りもみんな同じように働いていたからです。むしろ「なぜ残業ありきで仕事をしているのだろう」と疑問を口にすると、浮いてしまう空気がありました。だからこそ、同僚と心の底から仲良くなることもできませんでした。
辞めてからは、時間が自分のものに戻ってきました。これは「暇になった」という意味ではありません。塾の仕事も執筆も、忙しいときは忙しい。でも決定的に違うのは、その時間を自分で配分できることです。今日は早く切り上げて休もう、この週は集中して働こう、と自分で決められる。同じ「働く」でも、奪われる働き方と、選ぶ働き方は、まったく別のものでした。
現役の先生に伝えておきたいのは、長時間労働の常態化は、あなたの努力不足のせいではないということです。構造の問題が大きい。だからこそ、自分の時間を取り戻す方法は、必ずしも退職だけではありません。学校には休職という制度があります。年次休暇も、本来は遠慮なく使ってよいものです。まずは目の前の時間を少しでも自分の側に取り戻すこと。退職を考えるのは、そのあとでも遅くありません。
辞めてよかったこと3つ目:眠れるようになり、涙が止まった
3つ目は健康です。心と体の健康が戻ったことは、辞めてよかったことの中でも、特に大きいものでした。
教員時代のわたしは、夜に眠れませんでした。朝は起きられない。休日になっても、頭の中はずっと仕事のことでいっぱいで離れません。高校に勤めていた頃には、朝、車を運転している最中に、理由もなく涙がポロポロと出てきたことがあります。40度の熱が1週間続いても、休むことができませんでした。小学校に移ってからは、朝そもそも起きられなくなり、子どもを感情のままに怒鳴ってしまったこともあります。あれは、わたしの本来の姿ではありませんでした。心と体が限界のサインを必死に出していたのだと、いまなら分かります。
退職の前には、適応障害という診断で9か月間休職していた時期があります。当時は、自分がいなくなったらどうなるか、ということまで考えてしまう日もありました。いま振り返ると、あれは間違いなく危険な状態でした。
ここで、医師ではない元教師の立場から、それでもどうしても伝えたいことがあります。眠れない、朝起きられない、休日も仕事が頭から離れない、涙が勝手に出てくる。こうしたサインが続いているなら、それはがんばりが足りないのではなく、心と体が休息を求めている合図かもしれません。わたしはあなたを診断できませんし、決めつけるつもりもありません。ただ、もしつらいなら、心療内科や精神科を受診すること、職場の休職制度を使うこと、そして「いのちの電話」のような相談窓口に頼ることを、そっとお伝えしておきます。誰かに話すだけでも、少し楽になることがあります。辞めるかどうかを決めるのは、心と体が回復してからで十分です。順番を間違えないでください。
辞めてよかったこと4つ目:付き合う人を選べるようになった
4つ目は人間関係です。教員時代に地味につらかったのが、人間関係を自分で選べないことでした。
学校では、同僚も、保護者も、関わる相手を自分で選べません。わたしの場合、小学校で受け持った学年が前年度から学級崩壊していて、保護者からの目もとても冷たいものでした。保護者からのプレッシャーは日々ありました。先にも書いたとおり、「なぜ残業ありきなのか」という疑問を共有できず、同僚と心から打ち解けることもできませんでした。一日の大半を過ごす場所の人間関係を選べないというのは、思っていた以上に消耗するものでした。
辞めてからは、付き合う人を自分で選べるようになりました。これは本当に大きい。気持ちよく仕事ができる相手とだけ組む。合わないと感じたら、無理に関係を続けない。塾の運営でも、執筆の仕事でも、人を選べるというだけで、ストレスがまったく違います。自分を大事にしてくれる人に時間を使える。これは健康にも直結していました。
一つ、正直なことも書いておきます。実は、わたしと一緒に教員を辞めて起業した友人がいました。その友人は、独立してから3か月ほどでメンタルがしんどくなり、起業から離れていきました。辞めれば誰もがうまくいく、という単純な話ではないのです。環境を変えることと、自分が回復することは、別の課題です。だからこそ、わたしは「人間関係を選べる自由」を、自分の心の健康を守るために使っています。自由は、自分を守る道具にもなるのです。
辞めてよかったこと5つ目:お金を自分でコントロールできるようになった
5つ目はお金です。お金の話は、辞めたい先生がいちばん不安に感じるところだと思います。わたしもそうでした。だから正直にお話しします。
結論を先に言うと、退職した初年度から、教師時代と同じくらいの収入を得ることができました。これは運も大きいですし、誰にでも約束できることではありません。ただ、わたしの場合は塾・WEBライター・レザークラフト・非常勤講師など、収入の柱を複数に分けたことが効きました。教員時代は収入源が給料一本でしたが、いまは複数の収入が組み合わさっています。一本の柱に頼らないぶん、自分でお金の流れをコントロールしている感覚があります。
ここでとても大切な注意です。現役の教員は、原則として副業が禁止されています。ですから、いまお話ししているスキルや収入の柱づくりは、すべて辞めると決めたあと、あるいは辞めたあとに取り組むべきことです。在職中に副業で稼ぎ始めるのは、規則違反になります。ここは絶対に混同しないでください。
そのうえで、辞める前の「準備」としてできることはあります。わたしがやって役に立ったのは、まず簿記2級を取ったことです。お金の流れを読む力は、独立後にそのまま生きました。それから、生活防衛費として貯金500万円を最優先で確保しました。実家暮らしであっても、収入が安定するまで貯金が減っていく時期はしんどいものです。先に守りのお金を厚くしておいたことで、心に余裕が生まれました。家庭教師のボランティアで子どもに教える経験を積み重ねたことも、塾を開く下地になりました。
正直に失敗も書いておきます。収入の柱にしようと挑戦したYouTubeとブログは、わたしの場合うまくいきませんでした。何が当たるかは、やってみないと分からない部分があります。だからこそ、辞めたあとに収入源を一気に多様化して、当たったものを伸ばす、という進め方になりました。お金を自分でコントロールするとは、一発当てることではなく、複数の小さな柱を育てて、自分で組み替えていくことなのだと実感しています。
辞めてよかったこと6つ目:評価の尺度が「自分」になった
6つ目は、少し見えにくいけれど、わたしにとって深いところで効いた変化です。評価の尺度が、他人ではなく自分になったこと。
教員時代、わたしは人一倍がんばっていたつもりでした。研究授業も人より多くこなし、本も人より読んで勉強しました。それでも、評価されている実感がまったく持てませんでした。そもそも、何をどうがんばれば評価されるのか、その尺度自体が存在しないように感じたのです。どれだけ努力しても、それが正当に測られる仕組みがない。これは「頑張り損」だと、心のどこかでずっと感じていました。報われない努力を続けることほど、人をすり減らすものはありません。
辞めてからは、誰かの曖昧な物差しに自分を合わせる必要がなくなりました。塾なら、生徒が伸びたか、保護者に信頼してもらえたか。執筆なら、読んでくれた人の役に立ったか。結果が自分に直接返ってくるので、何をがんばればよいかが明確です。うまくいかなければ自分の責任ですが、うまくいけばそれも自分の手柄。この分かりやすさが、わたしには合っていました。
そして、もう一つ大きな変化があります。社会的な肩書きが、どうでもよくなったことです。辞める前はあれほど手放せなかった「教員」という地位や社会的信用が、いまはほとんど気になりません。肩書きで自分を支えなくても、自分のやったことそのもので立てるようになったからだと思います。他人の評価軸の中で消耗していた頃の自分に、「君のがんばりは、もっとちゃんと君に返ってくる場所があるよ」と教えてあげたい気持ちです。
辞めてよかったこと7つ目:自分で未来を切り開くやりがいを得た
7つ目は、自分で未来を切り開いていく挑戦そのものが、大きなやりがいになったことです。
教員時代は、来年も再来年も、だいたい同じ一年が続いていく見通しが立ちました。安定といえば安定ですが、わたしには「決められたレールの上を走っている」感覚が強くありました。辞めてからは、何もかも自分で決め、自分で作っていかなければなりません。塾をどう育てるか、どんな仕事を受けるか、次に何に挑戦するか。すべてが白紙で、すべてが自分次第です。
正直に言えば、自分で未来を切り開くのは、しんどいです。誰も道を用意してくれません。でも、そのしんどさと引き換えに得られるやりがい・自由・充実感は、桁違いでした。自分で考えて動いたことが形になったとき、教員時代には味わえなかった手応えがあります。失敗しても、それは自分が選んだ挑戦の結果なので、納得できます。
勘違いしてほしくないのは、これは「全員が起業すべきだ」という話ではないということです。辞めたあとの道は、起業だけではありません。別の学校への転職も、まったく違う業界への転職も、立派な選択肢です。仕事は本当に無数にあります。わたしが伝えたいのは、進む先を「自分で選んだ」という感覚が、人をこれほど元気にするということです。どの道を選ぶにせよ、その決定権が自分にあること。それ自体が、辞めてよかったことの一つでした。
正直に書く、辞めて大変だったこと
ここまで良いことを7つ書いてきましたが、冒頭でお約束したとおり、大変な部分も正直に書きます。これを伏せて「辞めれば全部バラ色」とは言いたくありません。
いちばんの大変さは、安心感がないことです。教員という仕事には、安定した給料と、社会的な信用という、強い安心感がありました。辞めると、それがなくなります。収入は初年度から教師時代と同じくらいになったとはいえ、来年も同じように稼げる保証はどこにもありません。だからわたしは、常に小さな不安と戦っています。この不安は、たぶんずっと消えません。
将来への不安も、正直にあります。わたしが暮らしているのは人口3万人に満たない地方です。少子高齢化は進み、地震のリスクもある。こうした不安は、考え出すときりがありません。だからこそ、わたしは早いうちから投資を始めて、FIRE(経済的な自立)を目指しています。安心感を会社や役所から与えてもらうのではなく、自分でお金に働いてもらって、自分の手で安心を作っていく。不安があるからこそ、その不安に備えて手を打つ。それがいまのわたしの生き方です。
念のため、お金のことを一般論として添えておきます。投資には元本割れの可能性があり、誰にでも合うものではありません。始めるなら、まず生活防衛費を別に確保したうえで、無理のない範囲で長期に取り組むのが基本だと言われています。わたしも、生活防衛費を最優先に確保したからこそ、安心して挑戦に踏み出せました。守りを固めてから攻める。この順番は、辞めたあとほど大事になります。
辞めたい現役の先生へ:辞めてもなんとかなる
最後に、いま「辞めたい」と感じている現役の先生へ、同じ道を通った先輩としてお伝えします。
教員を辞めて、いちばん強く感じたのは、自分がいかに狭い世界の中だけで悩んでいたかということでした。学校は、毎日通っているとそこが世界のすべてに見えてきます。でも、外には別の世界が広がっていて、仕事も生き方も無数にありました。安定した収入や社会的な信用を手放すのは、本当に不安です。その不安を軽く見るつもりはありません。けれど、いちばん大事なのは肩書きや収入ではなく、あなた自身の心と体、そしてあなたを大事にしてくれる人のはずです。そこに時間を使えるかどうかで、人生の充実感はまるで変わります。
そのうえで、順番だけは間違えないでください。もしいま、眠れない、朝起きられない、涙が出る、といったサインが続いているなら、退職を考えるより先に、まず休むことを考えてください。学校には休職という制度があります。心療内科や精神科、いのちの電話のような相談窓口もあります。回復してから進路を決めても、まったく遅くありません。元気なときに考えた選択と、追い詰められたときに考えた選択は、まるで違うものになります。
辞めると決めたなら、辞めたあとを見据えて、準備できることはあります。わたしの場合は、簿記の勉強、生活防衛費の確保、教える経験の積み重ねが役に立ちました。副業が禁止されている在職中は無理をせず、辞めると決めてから、あるいは辞めたあとに、収入の柱づくりに本気で取り組めば十分です。退職そのものを誰かに代行してもらいたい場合は、退職を言い出すのがどうしても難しい場合は、弁護士や労働組合が運営する退職代行サービスを検討する方法もあります。
自分で未来を切り開くのは、確かにしんどい道です。でも、そのしんどさの先にあるやりがいと自由と充実感は、わたしにとって何ものにも代えがたいものでした。だから、わたしは胸を張って言えます。辞めても、なんとかなります。あなたの人生のハンドルは、あなたが握ってよいのです。
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