教員が休職するやり方は、思っているよりずっとシンプルです。心療内科などの医療機関を受診して、診断書をもらい、校長に提出する。本人がやることの中心はこれだけで、あとの手続きは学校と教育委員会の側で進んでいきます。
私は元公立教員です。高校教員から小学校に異動して3ヶ月ほど勤めたあと、心療内科で適応障害と診断され、9ヶ月休職して、年度末に29歳で退職しました。
この記事では、病院に行くまでのためらい、診断書を学校に持って行くときの気持ち、3ヶ月ずつ延びていった休職期間、お金のこと、休職中の過ごし方まで、私の体験を正直に書きます。先に一番伝えたいことを言っておくと、休職は逃げではありません。そして私は、もっと病む前に立ち止まればよかったと今でも思っています。
教員の休職のやり方|流れは「受診して診断書を校長に出す」が中心
結論から言うと、教員の休職で本人がやることは驚くほど少ないです。私の経験を整理すると、流れは次のようになります。
- 心療内科など医療機関を受診する
- 医師に診断書を書いてもらう
- 診断書を校長に提出する
- 病気休暇や休職の手続きは、学校と教育委員会の側で進んでいく
- 休みを延ばすときは、あらためて診断書を提出する
複雑な申請書類を自分で書いたり、教育委員会の窓口に足を運んだりした記憶は、私にはほとんどありません。本当に大変なのは手続きではなく、「病院に行く」「校長に伝える」という気持ちの部分でした。だからこの記事では、書類の話よりも、そのハードルをどう越えたかを中心に書きます。
先に言っておきたいのは、休職を選ぶのに特別な資格や許可は要らない、ということです。担任を持っていても、年度の途中でも、医師が「療養が必要だ」と判断すれば休めます。抜けたあとの体制をどう組むかは、本人ではなく組織の仕事です。「自分が抜けたら回らない」と感じている人ほど限界が近いと思うのですが、学校は組織なので、一人が抜けても回る形を作るのは管理職の役割です。休む側がそこまで背負う必要はありません。あなたの心と体より優先すべき校務は、ひとつもありません。
制度の呼び方についても、ひとつだけ触れておきます。一般に、公立学校の教員が病気で長く休む場合、最初は「病気休暇」という給与が全額支給される休みから始まり、それでも復帰が難しいときに「休職」へ切り替わる仕組みになっています(日数や運用は自治体によって異なります)。ただ、当時の私はこの区別をよく分かっていませんでした。それでも問題なく休めました。制度の細かい知識は、休み始めてからで間に合います。
私の簡単な経歴も書いておきます。高校教員時代は残業が月200時間、毎日12時間勤務で、部活動のため土日もほぼありませんでした。初任の年は、1年間で休みが10日ほどです。その働き方に耐えられず、部活動から逃げるように小学校へ異動しました。ところが小学校で引き継いだのは学級崩壊していた教室で、3ヶ月ほどで心と体が動かなくなりました。そこから9ヶ月の休職を経て、復職はせずに年度末で退職しています。いまは個人で塾を開き、ほかの仕事も組み合わせながら、教員時代と同じくらいの収入で生活できています。休職は、その後の人生の出発点になった時間でした。この記事では、その9ヶ月を手続きの面と気持ちの面の両方から、順番に振り返っていきます。休む前に知りたかったことを全部書いたつもりです。
心療内科に行くまでが一番高いハードルだった|私は校長のすすめで受診した
正直に書くと、休職までの道のりで一番高いハードルは、病院に行くことでした。そして私は、そのハードルを自分の力では越えていません。心療内科を受診したきっかけは、職場の校長のすすめでした。
当時の私の状態はこうです。小学校で引き継いだ教室は学級崩壊していて、保護者の目は冷たいものでした。朝は起きられなくなり、教室では子どもを感情で怒鳴ってしまうことがありました。教員の自分が、子どもに感情をぶつけている。その自覚が、さらに自分を追い詰めました。
振り返れば、サインはずっと前から出ていました。高校教員のころは40度の熱が1週間続いても休めませんでしたし、朝、車で学校に向かう途中に涙が出てきたこともあります。今の私が当時の私を見たら、迷わず「すぐ病院に行こう」と言います。でも当時の私は「病院に行く」という発想を持てませんでした。目の前の仕事を回すことで頭がいっぱいで、自分の状態を客観的に見る余裕がなかったのだと思います。教員は平日の日中に病院へ行きづらい仕事でもあり、自分の不調はいつも後回しでした。それに加えて、心療内科という場所への心理的なハードルも確かにありました。
だから、校長にすすめられたことは、結果として本当にありがたかったです。自分では「まだ大丈夫」のつもりでも、周りから見れば明らかに様子がおかしい、ということがあります。私の場合がまさにそうだったのだと思います。第三者から「病院に行ったほうがいい」と言われて、ようやく自分の状態が普通ではないと認められました。もしあなたの職場の管理職や同僚が受診をすすめてくれたなら、それは厄介払いではなく、外から見て心配な状態だというサインです。私のように、その言葉をきっかけにできる人もいます。
心療内科で診察を受け、私は適応障害と診断されました。診断の内容や治療の進め方は人によって全く違うはずなので、ここで医学的な話はしません。私に書けるのは「私の場合はこうだった」ということだけです。似たような状態に見えても、診断も回復までの道のりも人それぞれです。だからこそ、自己判断で抱え込まず、専門家に診てもらうことに意味があるのだと思います。
もしあなたが今、誰にも相談できないまま限界に近づいているなら、職場の外にも話せる先があります。厚生労働省の相談窓口まとめ「まもろうよ こころ」には、電話やSNSで話を聞いてくれる窓口が載っています。休職するかどうかを決めるのはその後でいい。まず誰かに現状を話す。順番はそれで十分だと思います。
診断書を校長に提出する|学校に持って行くとき、誰かに見られていないか心配だった
結論から言うと、診断書の提出そのものは一瞬で終わります。ただ、私にとっては休職までの流れの中で一番緊張した場面でした。
今でも覚えているのは、診断書を持って学校に向かうときの気持ちです。私は「誰かに見られていないか」ばかり気にしていました。保護者に見られたらどうしよう。同僚に何と思われるだろう。休むことへの後ろめたさが、それだけ強かったのです。手続きとしてはただ書類を一枚届けるだけの日が、あんなに重かった。あの感覚は、何年経っても忘れません。
でも、今振り返るとはっきり言えます。診断書は「さぼりの証明書」ではありません。医師が「この人は今、働ける状態ではない」と判断した医学的な書類です。学校は診断書が出れば動かざるを得ませんし、動いてくれます。後ろめたい気持ちのまま持って行った私の診断書も、ちゃんと私を守ってくれました。考えてみれば、骨折した人が診断書を出して休むことを誰も責めません。心の不調も同じで、医師の診断がある以上、休むのは正当な権利です。あなたがもし同じ場面で足がすくんでいるなら、「これは自分を守るための書類だ」と思い出してください。
私の場合は、診断書を校長に提出したところから休みが始まり、その後の手続きは学校側を通じて進んでいきました。一般に、診断書を提出するとまず病気休暇として扱われ、多くの自治体では連続90日程度まで給与が全額支給されます。その期間を超えてなお療養が必要な場合に、休職の発令に切り替わる流れが多いようです(自治体や教育委員会によって運用は異なります)。本人が制度を調べ尽くしてから動く必要はなく、診断書さえ出せば、あとは案内に沿って進む部分が大きいと感じました。「まず制度を全部理解してから」と考えて動けなくなるより、受診と提出を先に済ませるほうがずっと早いです。
もし校長に直接言い出しにくいなら、教頭や学年主任、養護教諭など、話しやすい人を最初の相談相手にする方法もあると思います。また、学校に行くこと自体がつらい状態なら、無理に自分の足で届けなくてもいいはずです。郵送できないか、家族に託せないか、まず電話で相談してみる手もあります。大事なのは、誰に最初に話すかでも、どうやって届けるかでもなく、診断書という形のある書類が学校に届くことです。そこまでたどり着けば、休職への道は開きます。あの日、びくびくしながら学校へ向かった自分を、今の私は「よく行った」と褒めたい気持ちです。診断書を届けた日が、私の回復に向けた最初の一歩でした。
休職期間は3ヶ月ずつ延びていった|復職への圧は全くなかった
先に結論を書くと、私は最初から「9ヶ月休みます」と決めたわけではありません。休職の期間は3ヶ月ずつ延びていき、結果として合計9ヶ月になりました。
これは、いま休もうか迷っている人にぜひ知ってほしいことです。「どれくらい休むか」を最初に決める必要はありません。まず短い期間で休みに入り、回復の様子を見ながら、医師の判断に沿って延ばしていく。私の場合は、期間の区切りごとに診断書を更新して提出し、そのたびに3ヶ月延びていきました。先のことを何も決められない状態でも、休み始めることはできます。
この「3ヶ月ずつ」という区切りは、当時の私には合っていた気がします。「いつまで休むのか」「復職するのか辞めるのか」という大きすぎる問いに、いきなり答えなくて済んだからです。とりあえず次の区切りまで休む。それだけ考えていればよかったので、答えの出ない問いに毎日追い詰められずに済みました。期間の長さは医師が状態を見て診断書に書くものなので、自分で長さを決めたり、学校と交渉したりする必要もありませんでした。
そして、私が一番驚いたのはここです。学校からも教育委員会からも、復職への圧は全くありませんでした。「いつ戻れますか」と急かされることも、「そろそろどうですか」と探りを入れられることもありません。休む前は「休んだら迷惑をかける」「早く戻れと言われるに違いない」と思い込んでいましたが、実際には静かに休ませてもらえました。もちろん学校や管理職によって差はあると思いますが、少なくとも私のケースでは圧は皆無でした。休む前の想像と、休んでからの現実は違うことがあります。
一方で、しんどかったこともあります。休職中、周りの先生がご飯に連れて行ってくれることがありました。気にかけてもらえるのは本当にありがたいのに、人と会って話すこと自体に体力を使ってしまい、正直つらい部分もありました。善意すら重く感じる時期がある。それくらい消耗しているのが休職の初期なのだと、当事者になって初めて分かりました。もしあなたが同じ状況になったら、会うのがしんどい時期の誘いは断っていいと思います。お礼は回復してからいくらでも言えます。
なお、一般に公立学校教員の休職は、最長3年程度まで身分が保証される自治体が多いとされています(正確な上限は自治体により異なります)。私の9ヶ月は、上限から見ればまだ余裕のある長さでした。「もう十分休んだから戻らなければ」と焦る必要はない、ということも付け加えておきます。
休職中のお金|給料と傷病手当金の一般的な仕組みと、私の場合の記憶
結論から言うと、教員は休職してもすぐに無収入にはなりません。お金の心配で休むのをためらっているなら、まずこの章だけでも読んでください。
教員が休めない理由としてよく語られるのは責任感ですが、実際には「収入が止まったらどうしよう」という不安も大きいはずです。私自身、辞めたあとの生活も含めてお金の不安はずっとありました。だからこそ、休んでいる間の収入がどうなるかは、先に知っておく価値があります。一般的な仕組みは、次のように段階的になっています(いずれも自治体・共済組合により異なります)。
- 病気休暇の期間は、多くの自治体で連続90日程度まで、給与が全額支給される
- 休職に入ると、おおむね1年間は給与の8割程度が支給される例が多い
- 給与が支給されなくなった後は、共済組合の傷病手当金として、目安として標準報酬の約3分の2が、支給開始から通算1年6ヶ月程度を上限に支給される
私の場合の記憶も書いておきます。私は「6ヶ月までは給料が全額出て、それ以降は8割だった」と記憶しています。上に書いた一般的な区分と月数が合っていませんが、当時の私は病気休暇と休職の違いを意識していなかったので、私の記憶の側があいまいなのだと思います。それでも「休んでいる間、収入が急にゼロにはならなかった」ことだけは、はっきり覚えています。
また、私が退職日を年度末にした理由のひとつは、新年度から個人事業主として塾を始める予定があり、それまでの期間は傷病手当金を受け取ることができたと記憶しているからです。一般には、給与が出ている間は傷病手当金が支給されないか調整されるはずなので、私の記憶はどこか不正確かもしれません。ただ一般論として、共済組合の組合員期間が1年以上あり、退職の時点で傷病手当金を受けられる状態であれば、退職後も一定期間続けて支給される仕組みがあります。「休職してそのまま辞めたら即無収入」と決まっているわけではない、ということです。ちなみに私の場合は、退職時に退職金も受け取れました。休職したから退職金がなくなる、ということはありませんでした(計算方法や減額の有無は勤続年数や自治体の規定によります)。
大事なことなので繰り返します。ここに書いた金額や期間は、あくまで一般的な目安と私個人の記憶で、断定でも保証でもありません。正確な条件は、勤務先の共済組合・事務担当に必ず確認してください。事務の方に聞くのは恥ずかしいことでも迷惑なことでもなく、いちばん確実で早い方法です。
休職中の過ごし方|最初の頃はしんどくて何もできなかった
結論から書くと、休職の最初の数ヶ月は「何もしない」が精一杯でした。そして今は、それでよかったと思っています。「休職中に何をすべきか」と検索している人にこそ、読んでほしい章です。
休職中の私は、じっとしていたわけではなく、頭の中ではいろいろ考えていました。このまま教員を続けられないなら次の仕事を探さなければと、転職を考えて公務員試験を受けようとしたり、自営業を見据えて簿記などの資格を取ろうとしたりもしました。でも、最初の頃はしんどくて何も手につきませんでした。参考書を開いても続かない。計画を立てても動けない。「休んでいるのに何もできない自分」に、また落ち込む。その繰り返しでした。
実際の毎日は、とても地味なものです。子どもたちや保護者に会わないように、昼間の時間を選んで散歩をして、あとは家でゴロゴロして過ごしました。担任していた子どもに「先生、なんで学校にいないの」と聞かれたら、何と答えればいいのか分かりません。平日の昼間に外を歩くことには後ろめたさがあって、散歩の時間帯を気にしていたこと自体が、その気持ちの表れだったと思います。散歩とゴロゴロ。書いてしまえばそれだけの毎日で、劇的な回復の瞬間があったわけでもありません。
それでも、私の場合は、何もできない期間の先に、少しずつ動ける時期が来ました。勉強が続くようになり、辞めたあとの仕事の準備を考えられるようになったのは、休職が進んでからです。休職中に手につかなかった簿記も、のちに動けるようになってから勉強し直し、最終的に2級まで取りました。もしあの最初の時期に「休職中こそ自分磨きだ」と無理をしていたら、回復はもっと遅れていた気がします。
だから、これから休職する人に私が伝えたいのは、最初から有意義に過ごそうとしなくていい、ということです。休職に入った直後は、資格の勉強も転職活動も、うまく進まなくて当たり前でした。散歩とゴロゴロだけの日が続いても、それは停滞ではなく回復の途中です。動けるようになる時期は、たぶんあとから来ます。そして、何かしたいという焦りが出てきたら、それ自体が回復のサインかもしれません。少しずつ試して、疲れたら休む。私の場合も、そうやって動ける時間が増えていきました。もちろん、体調や治療の進め方は人によって全く違うので、過ごし方に迷ったら主治医に相談してください。私はただ、「何もできない時期があるのは普通のことだった」という一例として、自分の休職を書き残しておきます。
休職は逃げではない|もっと早く立ち止まればよかったと今でも思う
最後に、9ヶ月の休職を経て退職した私が、今どう振り返っているかを書きます。結論はこの見出しの通りです。休職は逃げではありませんでした。そして、後悔しているのは休んだことではなく、決断が遅すぎたことです。
私は、多くの人にかなり迷惑をかけました。年度の途中で教室を離れれば、子どもにも、同僚にも、保護者にも影響が出ます。だからこそ思うのです。もっと病む前に、辞める決断をするべきだった。そしてそれは、休む決断も同じです。限界を超えてから倒れるように休むより、限界の手前で立ち止まるほうが、自分の回復も早く、結果として周りへの影響も小さかったはずです。「迷惑をかけるから休めない」と粘った結果が、いちばん大きな迷惑につながる。これは私が身をもって学んだことです。
私は高校教員のとき、部活動が嫌で小学校に異動しました。自分では「逃げ出した」と振り返っています。でも、小学校に行ってみても、結局しんどさから逃げることはできませんでした。環境を変えるだけでは解決しないことがある。それを認めて立ち止まるための時間が、私にとっては休職でした。休職して考え続けた結果、「僕は教師には向いていない。組織にどっぷり浸かって言うことを聞くのが向いていない」と分かりました。これは、休まなければ一生気づけなかったかもしれない、大きな収穫です。
誤解しないでほしいのですが、私は「教師は辞めたほうがいい」と言いたいわけではありません。休職から復職して、長く教壇に立ち続けている先生もたくさんいます。休職して見えてくる答えは人それぞれで、私の場合はそれがたまたま「向いていない」だった、というだけです。私は復職せず、年度末に退職しました。辞めたい気持ち自体は、夏休みに入る前の時期に校長に伝えています。いまは個人で塾を開き、時間も健康も自分の裁量で守れる働き方をしています。休職していた9ヶ月は、その後の人生を考えるための準備期間になりました。
あなたが休職の先で復職を選んでも、退職を選んでも、どちらも正解だと私は思います。休職は復職のためだけの制度ではなく、安全な場所で立ち止まって考えるための時間です。ただひとつだけお願いがあるとすれば、限界を超えてから決めるのではなく、まず休んでから決めてほしい。診断書を校長に出すだけで、その時間は手に入ります。休むことは、あなたの教員としての価値も、人としての価値も、何ひとつ損ないません。私のように「もっと早く立ち止まればよかった」と振り返る人が、ひとりでも減ることを願っています。


コメント